「運動不足」をちょっと哲学してみた

週に何回運動をしていますか?
最近ではジムに通う人が増えているようで、仕事終わりに24時間営業のジムに通い、一日の疲れとともに汗を流してシャワーでスッキリしているでしょうか。
近年、「人生100年時代!」と言われ、寿命が長くなると共に健康意識が高まり、怪我や病気の予防のために運動する人が増えてきているかと思います。
その反面、一日中デスクワークでお休みの日は家でゴロゴロ動画を見て、ほとんど動くことなく過ごすような人も多いかと思います。
どうしても後者のような生活を送り、運動しない人は『悪』のような印象を持たれ、前者のような生活を送り運動する人こそが『善』とされている風潮がありますが、果たして本当にその通りなのでしょうか?
今回は、運動の持つ特徴を整理し、運動が必要なものなのかを考察することで、「運動不足」という言葉を見直していこうと思います。
早速結論としては、
運動が不足しているのではなく動きが不足している。
なぜこのような結論に至るのか、これがどういう意味なのかを順に解説していこうと思います。
この記事を読むことで、
- 運動に対する理解が深まります。
- 自分の健康のために運動が必要なのかどうかを判断できるようになります。
まずは、『運動不足』と言われている現状を整理していきましょう。
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なぜ運動不足と言われるのか

『運動不足』という言葉がどんなときにどんな意味合いで使われているのかを考えていきましょう。
運動不足と言われる背景
インターネットなどのテクノロジーが普及し、どの業界のどんな職種でも全くインターネットを利用しないで業務を行うことが珍しくなってきています。
アナログの代表格でもあるマッサージ業界でも予約システムは個人経営でも必須アイテムではないでしょうか。
体感的に今現役世代が子供だった頃の大人に比べて自分自身の動く量が減り、その分もしくはそれ以上をテクノロジーが担っているかと思います。また、幼少期でも昭和、平成と令和の子供で比べれば運動にかけていた時間の一部がインターネットを始めとするテクノロジーに費やされているのはYou Tube視聴やゲームの普及具合を見れば明らかでしょう。
「不足」という言葉を使うからには基準となるものがあるわけでして、やはり上記のような過去の運動量と比較して、現代の運動量がテクノロジーを通じて、絶対的に低下しているということが体感として分かるのでしょう。過去の世代と比較した運動量の低下です。
とはいえ、今の現役世代も学生時代は部活に励み、毎日放課後に運動をしていた習慣を持っていた人も多いと思います。そういった自分自身の過去の経験と比較して、社会人となった今ではどうでしょうか。デスクワークやテレワークのおかげで運動というものが減少していることが明らかでしょう。過去の自分と比較した運動量の低下です。
運動とは何を指すのか
そもそも普段口にする『運動』という言葉が何を指すのかを今一度考えてみたいと思います。
「最近運動してますかー?」
「いやそれが最近運動不足でさー」
というときの『運動』という言葉は主に、走る、筋トレ、サッカーや野球などの、基本的には学生時代に触れてきた『スポーツ』のことを指すのではないでしょうか。
この『スポーツ』という言葉は日本語に直訳すると確かに『運動』と訳されるので、その考え方が間違えているわけではないのだと思います。しかし、それと同時に『運動』を英語に直訳すると『motion』と訳され、さらにそれを日本語に直訳し直すと『動き』と訳されます。
このことから『運動』が指す意味としては、スポーツとしての運動と動き自体を表す運動との2つの表現があることがわかります。
そして本来の意味での『運動不足』という言葉の中の『運動』が指し示すこととは、『動き』自体を表す運動の方のことなのです。それがなぜなのかについては、『スポーツ』としての運動の特徴を整理してみることでわかります。
運動の特徴

『スポーツ』としての運動が身体にもたらす影響を、メリットとデメリットの両面を整理することで『運動不足の真相』に近づいて行こうと思います。
メリットとしての側面
ストレス発散
現代社会を健康に生きていくためにおいてとても重要な要素でしょう。
一定程度以上の強度のあるトレーニング、例えばポピュラーなところで言うと筋トレ、ランニング、登山などの運動は、脳の血流を良くすることで活性化し、脳内にセロトニン、ドーパミン、エンドルフィンというような幸せホルモンを分泌してストレスに立ち向かって幸福感をもたらしてくれます。
また、強度の高いトレーニングをすることで達成感が生まれ、脳内の神経伝達物質が分泌されやすいので癖になって行くのでしょう。
筋力アップ
見た目が良くなることもさることながら、筋力が上がることで運動量が同じでも血流を活性化する力が上がります。また、リンパの流れは筋肉の動きに依存しているため、動かないことには流れが滞ってしまいます。やはり筋肉量が増えればリンパの流れを活性化しやすくなり体内を循環させる能力が向上します。
うまく使うことができれば、より重いものをより遠くまで運ぶことができるので、スポーツシーンでも私生活でも役に立つことは間違いないでしょう。
デメリットとしての側面
故障のリスク
運動不要論を唱えるに当たって圧倒的なデメリットがこの故障のリスクが思いの外高いということです。
そしてデメリットに共通することですが、運動を習慣とする多くの人がこのリスクを理解せずに気軽に取り組んでいるという点です。問題はあまりに気軽すぎるところにあり、ランニングするには運動靴があれば誰でも外に出て行なうことができます。ジムへ行けば、バーベルを上げたり器具を使ったトレーニングをすることができます。素人にとってあまりにも身近で気軽な運動なのだが、やり方を間違えるとあまりにも負荷が強いものだということが知られていないのが現状です。
パーソナルトレーニングなどが流行り、丁寧にトレーニングする人が増えてきた筋トレとは異なり、ランニングについては、走り方など誰が習ったことがあるでしょうか。元陸上部の人でさえ習った記憶は無いという。
本来であれば、人間生活における範囲での走り方などは遺伝子に組み込まれているので、走り方など意識せずとも裸足で土の上を生活していれば健康に走ることができるでしょう。それが普段デスクワークをして、たまにコンクリートという固くて平らな地面の上を靴を履いて歩く程度の生活をしている現代人が、人間としての走りを引き出せるわけもなく、ただ闇雲に地面を蹴り続けてしまうことでしょう。
適切な箇所を必要な分だけ使わずに、必要以上に緊張し力むことでも、ある程度メリットは享受できるので、関節や筋肉、人体に大きな負荷をかけながら、「この運動は身体に良いものだ」と思い込んでしまうこのギャップが非常にデメリットです。
癖がつく
部活動でやっていたスポーツや武道の動きは、癖となり20年、30年経っても私生活に頻繁に現れます。そしてこれもまた、無意識で自覚することが困難な質の悪いデメリットです。
当然ですが、スポーツや武道の動きは通常生活とは異なり、それぞれの動きに必要な筋肉が必要なだけ付いていくものですが、そのスポーツや武道で必要とされ付いた筋肉は通常生活に必要でしょうか?
多くの場合は特有の動きがあり、専門的な動きをするためのものであり、通常生活には過剰なものか関係性の薄いものになるでしょう。しかし、習慣化したスポーツなどの動きの中でも特に学生時代に一定期間行なっていたものは、自身が『身体を動かす』という上での基盤となり、今後の生活を支えていくことになってしまうのです。
そして誰もが歩き方を習うことなく歩いているのと同じように、各々がスポーツで培った動きを無意識のうちに通常生活で発揮し、身体へ過剰な負担をかけて過ごしているのです。脳は慣れたことが気にならないように出来ているので、まさか20年、30年前にやっていたスポーツや武道が原因だなどとは検討がつかず、直近で「何かやってしまったか」と考えても時すでに遅しとなってしまうのです。
まとめ

『なぜ運動不足と言われるのか』『運動の特徴』を整理してみて分かることは、
そもそも「運動」という言葉の解釈に誤解があり、一般的には今の生活には「スポーツ」が足りていないと考えられているが、実際に足りていないのは「動き」であるということです。
世間的にも個人的にも過去と比べて動いている時間が減り、圧倒的に止まっている時間が増えています。この生活にスポーツを投入してしまうと待っているのは故障です。
スポーツが趣味でリスクを抱えてでも楽しんで人生を豊かにできる自身のある人以外は、止まる 時間を減らし、動く時間を増やすことを強くおすすめします。